ドッペルゲンガー

新しい店長はよく喋る。あっけらかんとして、スタッフが多く出入りする事務所で面談をしている。導入は必ず、「あなたはどんな人ですか?」と決まっているようだ。わたしはすぐ隣で自分の仕事をしながら、面談を聞いていた。

 

わたしはどんな人か。さして何かに秀でている訳でもないわたしを、だれかに説明するのってとても難しい。というか、何にもない。

 

わたしは何者でもない、それは大きな穴の淵から奥底の暗がりを覗き込むような恐ろしさ。人間はそれぞれ唯一無二という。確かに個体としてはそうかもしれないが、わたしは唯一無二の個性なんてないと思ってる。マスメディア見て読んで育ってそれなりに社会性のある暮らししてたら、その人となりを形成する要素はありきたりなところに落ち着くと思うし。だから、その要素の集合体であるわたしの代わりなんていくらでもいると思う。

 

ずいぶん寂しい考え方だと思うんだろうか。そんなことないよ。だってわたしが唯一無二の存在だったら、誰かに対してわたしが生きたり死んだりすることに責任を持たないといけないでしょ?つまり、わたしじゃないと幸せにできない、みたいな人間が存在しちゃうかもしれないじゃないですか。それは考えてみるととてもしんどいことなんだよ。

 

わたしがもしいなくなっても、好きな人たちにはずっと幸せでいてほしいと思っていて。だから、自分以外の誰かに好きな人たちのことを幸せにしてもらいたい。それは(いまはいないけど)恋人や家族、友人…誰に対してもそう思う。自分がいなくてもちゃんとみんな幸せになってもらいたいから、ずっと代替可能な存在でいたい。

 

どうやったって、わたしはわたしの責任しか負えないのだ。それ以上のおんぶにだっこはいずれ死にたくなる。そうやって責任を逃れることで、今日も生き長らえている。